希望王国岩手スクールセッション(平成20年2月25日)
訪問学校:岩手高等学校
開催場所:盛岡市
希望王国岩手スクールセッション(訪問学校:岩手高等学校)
- 実施日 平成20年2月25日(月曜日)
- 場所 岩手高等学校
達増知事
皆さん、こんにちは。岩手県知事の達増拓也です。きょうは、岩手高校に来るということで、石桜にちなんで桜色のネクタイをしてきましたけれども、これはそこの夕顔瀬橋に行く途中、右側にある小野染彩所、蛭子屋さんの南部古代型染という、そういう江戸時代からある染め物のネクタイで、私はきょうはこの後夕方は仙台に行くのですけれども、特に岩手県外に行くときには、岩手の県産品をアピールしようと思って、特にそういうのを身につけてやっているのですけれども、きょうはここにまず来るので、桜色のネクタイを選んできました。ちなみに、ネームプレートが黒い色になっていますけれども、これは浄法寺の漆を使った浄法寺塗のネームプレートでありまして、そこに金の蒔絵で達増拓也と書いてあります。これもやっぱり岩手の県産品であります。
さて、きょうは英語の授業をするということで、1時15分から40分間、1時55分まで授業をやって、その後は何でも知事に質問コーナーというのが15分間最後とってあるということで、そういうふうにしていきたいと思います。
では、今手元にある、私のプロフィール、顔写真入りのものが手元にいっていると思いますが、その裏がテキストです。このテキストは、一番下に出典が書いていますけれども、“tuesdays with Morrie”という、モリー先生との火曜日と訳してありますが、モリーというのは人の名前、先生の名前で、「モリー先生との火曜日」、by Mitch Albomとありますが、ミッチ・アルボムという人が書いた、この本からとったものです。このペーパーバックは、本屋の洋書コーナーに置いてあったのですけれども、何となくおもしろそうだから手にとって、それで買って読んでみたらすごくおもしろかったのですが、英語をやる人たちの間ではかなり評判の本のようで、英語や単語のリスニングの本を買って、その中で読んでいたら、リーディングの中級、上級者向けのペーパーバックとして一番勧めるというところにこの本が紹介されていましたね。“tuesdays with Morrie”、これは映画にもされているのだそうですが、私は日本で公開されたという話は聞いていないので、日本未公開かもしれません。
このミッチ・アルボムという人は、スポーツライター、スポーツ新聞とかスポーツ雑誌の記事を書くのを職業としていたのですけれども、だんだん評判が高くなって、ドキュメンタリーというよりは随筆のような感じなのですけれども、こういう随筆を書いたり、あとは小説も書いたりしている人です。
このモリーというのは、ミッチ・アルボムさんの大学時代の先生の名前なのですけれども、大学を卒業して10年だったか20年だったかたって、それまで全然この先生と音信不通にしていたのだけれども、あるときこの先生がテレビに出ているのを見るのです。何でテレビに出ているかというと、ALSという難病、治し方がわからない、現代医学では治せない病気とされている、体の筋肉がどんどん弱っていってしまう、そういう病気にかかっていて、それでもめげずに大学で授業をしたりしているということで出ていたのですね。ネタバレになりますけれども、最後は死んでしまいます。そして、テレビを見たミッチ・アルボムさんがいたたまれなくなって、遠くで働いていたのですけれども、飛行機に乗って大学のあるところまで行って、モリー先生に会って、そしてちょうど仕事のほうも記事を書いているスポーツ新聞の新聞社がストライキで発行停止になっていて、長期間全然記事を書く仕事がなくなって、そういう暇があったこともあって、毎週火曜日モリー先生のところに通うということを始めるのですね。毎週火曜日、それは昔このモリー先生の授業があった曜日で、学生時代は毎週火曜日、モリー先生と会っていろいろ話をしたりしていた。そのことを思い出しながら、ASLで亡くなるまでの大体1年間、毎週火曜日モリー先生に会って、いろんな人生のこととか、結婚のこととか、死とはとか、そういう話をしたことを書いた、本当にあったお話であります。
このテキストは、学生時代のことを思い出してミッチ・アルボムさんが書いているところです。
それでは、区切りのいいところで区切りますから、後について読んでください。
One afternoon, I am complaining about the confusion of my age, what is expected of me versus what I want for myself.
One afternoon、ある日の午後、I am complaining about、complaining aboutというのは下に書いていますけれども、何について不平を言う。さて、何について不平を言っていたかといいますと、the confusion of my age、私の年の混乱、大学生ですから大体20歳前後、そういう20歳前後に特有の混乱という意味ですね。私の年に特有の混乱について不平を言っていた。これは、相手はモリー先生。ミッチ・アルボムさんがモリー先生にそういうことで不平を言っていたのですけれども、どういうconfusion、混乱かといいますと、what is expected of meというのは私に期待されていること、versusというのは対して、これはよくVSとかで、だれそれVSだれそれという、だれそれ対だれそれというふうによくVSと訳されて使っていますが、そういうversus。後ろのほうは、what I want for myself、自分自身がなりたいもの、自分に期待されるものと自分自身なりたいもの、その対立の混乱ですね。これは、よくあることで、高校生でもよくあると思います。将来の進路とか、進学とか、就職とか、自分に期待されるものというのが、ある一方で自分のやりたいのがあって、それがぴったり一致している人というのは余りいないのだと思います。周りはああしたほうがいいんじゃないか、こうしたほうがいいんじゃないか、自分自身はまたいやいや自分はこうしたいみたいな。私には小学6年生の息子がいますけれども、今これがあるとすれば、ゲームのやり過ぎをさせないように、携帯ゲーム機をうちの息子は勝手に、親が買ってやらないから勝手にゲームショップに行って小遣いで買ってしまって、それでそういう携帯ゲームを余りやってはいけないという、そういうwhat is expected of himとwhat he want for himselfは、ゲームが上手で友達にも自慢できるような自分になりたいというのが彼にもあるわけですけれども、子供だったらゲームの話で済むのですが、20歳ぐらいになってくるとより深刻なテーマになってくるでありましょう。
それに対してモリー先生が言います。後について読んでください。
“Have I told you about the tension of opposites?”he says.
私は、あなたに反対のものの緊張について言ったことはあったかなと彼は言いました。tension、これぴんと張ることを張った状態と言うのですけれども、緊張というのはtension、緊張感とか緊張という意味もありますね。the tension of opposites、oppositesというのは反対のもの、反対のものの緊張について言ったことはあったかなと彼は言いました。
後について読んでください。
The tension of opposites?
これは、ミッチ・アルボムさんが聞き返したのですね。どういう意味かよくわかりません。それで、モリー先生が説明をします。後について読んでください。
“Life is a series of pulls back and forth.
lifeというのは人生ですね。人生は、a series of、一続きの何とか、この何とかというのはpulls back and forth、pullというのは引くこと、これは名詞で使われていますね。普通pullって動詞で使われますが、ここでは名詞で使われています。back and forthというのは前後に、前後に引くことの一つ続きだと、人生というのは前後に引くことの一続きだ、直訳するとそうですけれども、わかりやすくすると人生とは前や後ろに引っ張り合う連続だと、前や後ろに引っ張り合う連続、それが人生だということですね。
では、後に続けて読んでください。
You want to do one thing, but you are bound to do something else.
you want to do one thing、あなたはある一つのことをやりたい、あなたはある一つのことをしたい、しかしあなたはbound to do、boundというのは縛りつけられた、ボンデージファッションとかテレビのお笑いとかで最近やっていますけれども、それと同じような意味の言葉ですね。but you are bound to do something else、しかしあなたはほかの何かに縛りつけられていると。あなたはある一つのことをしたい、しかしあなたはほかのことに縛りつけられている。
もうちょい先に進みましょう。後に続いて読んでください。
Something hurts you, yet you know it shouldn’t.
何かがあなたを傷つける。しかし、あなたはそうであってはならないことを知っている。そうですね、傷つくというのは、人に悪口を言われたりすると傷つくのですけれども、you know it shouldn’t、it shouldn’t hurt meということですね、そのことが自分を傷つけてはだめだと。例えば親が子供に向かってよく、おまえはこうこうこうなのだからだめだみたいなことを言って傷つけるかもしれません。でも、もしそれが本当のことだったら自分はそれに傷ついていてはだめで、反省して頑張らなければならない。でも、親が期待している自分像と自分のそうありたい自分というのにずれがあったりすると、そううまくいかないわけですね。
次、後に続いて読んでください。
You take certain things for granted, even when you know you should never take anything for granted.
take for grantedというのは、これはよく試験にも出ると思いますが、何を当然のことだと思う。certain thingsというのは、ある物事、複数っぽく物事と言いますが、あなたはある物事を当然のことだと思う。その後even when、evenというのは何々さえ、whenがついているからこれこれこういうときでさえ、you know you should never take anything for granted、あなたが何も当然のことだと思ってはいけないとわかっているときでさえ、ある物事を当然のことと思う。これは、妻との関係で私がよく陥るのですけれども、朝ご飯をつくってくれたりとか、掃除や洗濯をしてくれたりとか、妻がするのですけれども、それは男女間の役割分担で女は必ずそうするものと決まっているわけではないわけですよね。本当は男が朝ご飯の支度をしたり、夫が家事をしてもいいはずだし、現に岩手県は今、男女共同参画推進といって、そういうちゃんと男も女も同じように家事をしましょうということを推奨、お勧めしています。ということがわかっているのだけれども、朝ご飯をつくってもらうことを当然のことと思ってしまうというようなことをここで言っているわけであります。
次いきましょう。後に続いて読んでください。
A tension of opposites, like a pull on a rubber band.
聞かれていたのはthe tension of oppositesということでした。モリーさんが説明を続けます。反対のものの緊張、それはということですね。a pull on a rubber band、rubber bandというのはゴムバンド、ゴムひもと言っていいでしょう。like a pull on a rubber band、ゴムひもを引っ張っているようなものだ。a tension of opposites、反対のものの緊張というのは、ゴムバンドを引っ張っていることのようなものだと。
次、後について読んでください。
And most of us live somewhere in the middle.”
私たちのほとんどはlive、住んでいる、somewhere in the middle、その中間のどこかに、そうですね、生きているですね、このliveは。lifeに対応していて、人生はという話をしていまして、我々の、私たちのほとんどはin the middle、その中間のsomewhere、どこかで生きている。その中間のどこかというのは、a rubber bandの中間のどこかということですね。人生というのは反対のものの緊張、片方に親の期待があれば、もう片方に自分のなりたいもの、その緊張で引っ張られて、その間にゴムがある、ゴムひもを両側で引っ張り合っているような、その中間のどこかで実際人生は進んでいくわけで、完全に親の言いなりにならないし、また完全に自分だけの思いだけでは進んでいけなくて、大体その間のどこかで生きていくのが人生だよということです。親との関係だけではなくて、クラブ活動とかでもよくあるのでしょうね。正選手になれなかったりしたときに傷つく。でも、本当はそこで傷ついていてはだめで、やっぱり正選手になるためにはきちっと練習して強くならなければならない。そういうやっぱり自分はだめなのだと傷ついてしまう自分と、いやいや、そうではない、練習して頑張ろうという自分との、でも両極端ではなくて、その間に人生はあるということをモリー先生はミッチ・アルボム君に教えているわけです。
ミッチ・アルボム君が答えます。後に続いて読んでください。
“Sounds like a wrestling macth.”I say.
sounds likeは何々のように思える、a wrestling macth、レスリングの試合のように思えると私は言いました。ミッチ・アルボム君は、そういうゴムの引っ張りあいだみたいなことを聞いて、それはレスリンクの試合みたいですねと言いました。
後について読んでください。
“A wrestling macth.”He laughs. これは、モリー先生のせりふですね。heというのはモリー先生です。レスリングの試合、彼は笑った。思い出して書いているので現在形になっていますが、彼は笑う。
後に続いて読んでください。
“Yes, you could describe life that way.”
yes、そうだね、you could describe、describeというのは特徴を述べる、描写するとそこに書いていますけれども、描写するをもうちょい簡単に言うと描くという言葉、描くと訳すことが多いですね、describe。それで、そうだねと、あなたは人生をそのように描くことができるかもねですね。ちなみに、何でここ「できる」ではなく最後に「かもね」をつけるかどうかわかる人、手を挙げて、当てて発言してもらいます。you could describe life that way、人生をそのように描くことができるかもね、丁寧に言うと「かもしれません」、なぜできるというふうに終わらないか。だれか手を挙げて発言を。わかっていても手を挙げない人がいそうな感じもしますが。まあ、いいや、発言を強制はこの場ではしませんので、答えを言うと仮定法なのですね、仮定法。もしそう考えるとすればという仮定法が入っていて、canではなくてcouldになっているのですね。文法の勉強もできます。日常会話で仮定法というのはかなりしょっちゅう使います。ちょっとはっきり答えられない、あれこれそれこそ悩んで、端と端の中間ぐらいなところで答えるときに、well, yes it could beとか、you could do thatとか、そういう言い方はよくするのですけれども、そういう意味ではモリー先生は答え方自身の中で、人生というのは引っ張り合いのどこか真ん中、どこか間にあるということをみずから実践しているところがありますね。
という煮え切らない返事をする、ややあいまいな返事をするモリー先生に対し、追い打ちをかける若き20歳ぐらいのミッチ・アルボム君でありますが、後について読んでください。
So which side wins, I ask?
それで、どっち側が勝つのですか、私は尋ねる。引っ張り合いだから、しかもレスリングの試合に例えていいと言われたので、ではレスリングの試合に例えますと、結局どっちが勝つのですかと聞くわけですね。
読んでください。
“Which side wins?”
これはモリー先生の答えで、相手の質問に対してその質問をオウム返しに答えるということは、それは相手の質問が予想外の質問だったからでありまして、どっち側が勝つかというふうに相手の質問に対する驚きを示しながら繰り返しているわけでありますね。何で相手の質問にちょっと驚いたようになっているかというのは後で説明しますが、予想外の質問をされたモリー先生ですけれども、それに対してどう対応するか。後に続いて読んでください。
He smiles at me, the crinkled eyes, the crooked teeth.
彼は私にほほ笑む。縮こまった目で、曲がった歯で。これは、withをつけると文法的によりわかりやすいのでしょうけれども、そういう意味ですね。縮んだ目というのは、目をしばしばさせるとか、ふうんという感じですね。だから、これは、ははあんという感じの目で、怒っているわけではないし、悲しんでいるわけではないし、ただ吹き出すようなおかしみでもなく、その後crooked teeth、歯が曲がっているのは、これはしようがない。不摂生で曲がっているのでしょう。ただ、それが見えるということは、にこっとしているということがわかりますね。にこっとしているから目も細まっているわけです。だから、目を細めてにっこりしてというふうに書けばいいのですけれども、さすが文筆家としても成功しているミッチ・アルボムさん、こういう縮こまった目で、曲がった歯でという滑稽な表現をしつつ、モリー先生が非常ににこにこしていたことをあらわしていますね。
何と答えたかといいますと、後について読んでください。
“Love wins.Love always wins.”
愛が勝つのさ、愛がいつも勝つのさという言葉で終わっているわけです。
ということで、最後のせりふを聞いてどのように感じたかを言ってください。だれか手を挙げて。これは、もう間違う、間違わないの世界ではなく、自分の素直な感じ方をしゃべってもらえばいいので、手を挙げる人がいなければ当てます。では、一番前にいてずっと聞いていてくれて、どう感じたか、この最後のせりふ。
生徒
愛はいつの時代でも強いということを感じました。
達増知事
愛はいつの時代でも強いということを感じましたと。では次は。
生徒
愛はすばらしいものです。
達増知事
いいですね。はい、では次。
生徒
自分が最も愛しているもの、つまり自分が一番好きなことが一番最後にあるのではないかというふうに思いました。
達増知事
なるほど、なるほど、かなり論理的な分析をしています。
では、窓際のほうにもいきましょう。どういうふうに感じたか。
生徒
愛はすばらしいものだと感じました。
達増知事
いいですね。ほかの人の発言を聞いていて、自分も何か言いたいなという気持ちになった人は手を挙げて発言してください。ちょっと目と目が合ったので、はい、君。
生徒
愛より深いものはなく、愛はとりとめもなく懐が広いと思います。
達増知事
では、その隣の君も、目と目が合ったので。
生徒
正直、現実を見たほうがいいと思います。
達増知事
それはなかなかいい指摘だね。
so which side winsのところに戻りますと、ではどっちが勝つのですかと私が尋ねると、ミッチ・アルボム君が尋ねるのですのですけれども、それにwhich side wins?、これ文法的にはこういう疑問文のときは語尾は下げるので、受けた側もwhich side winsというふうな反応が基本なのですけれども、本当にびっくりするとwhich side wins?というような感じになると思いますが、モリー先生、それに近い状態だったと思います。つまりモリー先生が言いたいのは、人生というのは両極端の中間にあるのだよということを言いたいわけですよ。アルボム君は、その両極端の間で引き裂かれそうになって悩んで、冒頭部分で不平を言っていたので、そのミッチ君に対して、いやいや、そうやって引き裂かれちゃいかんよと、両極端の中間にこそ人生というのはあるんだよというのを言いたいのに、ここまで来てもミッチ君はどっちが勝つのかという、まだ両極端にとらわれているわけですよ。彼は、やっぱり何か引き裂かれそうになっている。そこまで彼の苦悩は深いわけですね。そこで、モリー先生は一発逆転のアドバイスとして、love winsという、何で突然愛が出てくるのだと、それこそ意外に思った、驚いた人が結構いるのではないかと思いますが、そこはあえてどっちが勝つかという問題ではないのだよということを言いたかったわけですよね。そういう両極端のどっちかを選ぶという問題ではないのだよと。そういう両極端ではないどこかに自分の人生を見出すときの最大のポイントが愛ということが、またこれがこの先生の永遠のテーマでもあるのですね。
実は、この本の主題はloveだと言ってもいいのですけれども、自分がもうほぼ確実に1年以内、そのくらいで死ぬことが決まったときに、一体自分が何をすべきかというときのこの人が価値基準にするのがloveなのですよね。昔仲よくしていた人たちとのおつき合いをもう一回やるとか、あるいはテレビの取材みたいなやつにも積極的に答えて、自分を今まで育ててくれた地域や親や家族、またこの人にとってはアメリカという国に恩返しをしたいという、そういう愛を持って判断しさえすれば、そういう両極端のどこでやっていけばいいかということはおのずとわかるはずだよということをこの場では言っていたわけですね。ただ、ミッチ君もこれを聞いた瞬間には、多分ぽかんとして、何を言われたのかわからない、何かごまかされた感じにミッチ君はなっていたかもしれません。ただ、10年後だったか20年後だったかに先生と再会してこの本を、特にこの本を書いたのはもう先生が亡くなった後ですから、先生が亡くなった後の段階では、このときモリー先生が自分に何をしてくれようとしていたかというのはすっかりわかった上でこう書いている。それで、モリー先生の優しさと言っていることの志の高さ、そしてそういう高い志を最初から押しつけるようにするのではなくて、自分が自然にそこに気づいていくように包み込むようにして持っていくような教育、指導の仕方、そういうところがテーマであります。
ということで、ちょうど時間となりましたので、授業編はここで終わりにして、あとの15分は知事への質問コーナーということで、何でもいいから質問をしてもらって、それに私が答えるというコーナーになります。さて、やっぱり、なれている先生に司会進行をやっていただこうかな。
司会
どうもありがとうございました。
では、今のお話の中でちょっと今言いたかったのにという人いたらば手を挙げて発言してもらいたいのですが、いかがですか。
では、変えましょう。何でもいいです、知事にこの際聞いてみたいなという質問があったらば。
生徒
僕は雫石町の出身で、将来は地方の公務員になりたいと思っているのですが、知事から見た雫石の印象と、僕が地方の公務員になるために心にとめておかなければならないことがあれば、それを教えてほしいです。
達増知事
雫石というのは、すごく歴史もあり、そして自然環境にも恵まれて、いい人がいっぱいいる、そういう自分の人生をかけるに値するまちだと思います。世界有数のスキー場とか、世界大会に使えるような立派なスキー場もあるし、そして全国有数の温泉もあるし、また本当に働いている人たちも一生懸命だと思います。
公務員として働いていくためには、地域の人たちのために自分がどれだけのことができるかというところで、そういう基本的な知識とか技能とかはやっぱり身につけておかなければなりません。そういう身につけておかなければならない知識、技能が何かというのは、職員採用要項ですね、そういうのに書いていて、職員採用試験というのもあって、その試験科目とかにもあらわれているわけでありますけれども、やっぱり法律とか、あとは行政に関するそういう知識、技能を身につけるというのが基本になります。
あとは、公務員という形、町役場職員という形ではなくても、農協とか、あとはいろんな形で地域に貢献する道はあると思います。ですから、農業とか、農業も酪農とか畜産も盛んですよね、雫石は。そして、温泉やスキー場のような観光とかも盛んなので、そういうのを身につけて、役場をサポートしながら地域に貢献する道もあるかと思います。
あと、決め手になるのは、やっぱり雫石のことをよく知ることだと思います。そうすると、今、雫石で何が一番求められているのかとか、自分にそれが務まるのかというのは、雫石のことがよくわかってくればわかってくると思うので、いろんな勉強をしながら時々雫石のことを知るという、話を聞いたり、調べてみたり、そういうところにも時間を割くといいと思います。
司会
そのほか質問のある人。
生徒
達増さんは衆議院議員をやっていらしたと聞いたのですが、今話題になっている暫定税率を外すかという問題があるではないですか。それについてどう思いますか。また、それが岩手県にはどういう影響を与えるものなのでしょうか。
達増知事
good question。今最もトレンディーな話題、質問だと思いますが、そうですね、暫定税率廃止というのと廃止ではないという、そういう両極端の間に、in the middle、life we live somewhere in the middleでありますが、そういういい例だと思うのですけれども、今の制度を前提にして暫定税率だけ廃止したら、岩手において道路をつくる予算がごそっと150億円くらい減ってしまうのです。そうすると、つくる予定の道がつくれなくなるし、それをほかの分野から補おうとするとほかの分野の予算がごそっと減ってしまうので、そういう意味では暫定税率の廃止ということを、それだけ突然やられることについては反対です。それは裏を返すと暫定税率維持賛成というふうになるのですけれども、ただ暫定税率を廃止したかわりに、例えば国が国債を発行して国がお金を借りて、その借りたお金で150億円分丸々岩手に国がお金をくれれば、岩手は何も困らないわけですよ。あるいは暫定税率というのは、ガソリン税とかそういう地方の人たちほどたくさん車を利用しているのですよね。あるテレビで見ていたら、大阪市の1世帯当たりのガソリン使用量に比べ、日本で一番使っている市は富山市なのですけれども、大阪市の5倍ぐらい使っているのですね、ガソリンを。岩手の人たちも東京の人たちの何倍かのガソリンを使っていますから、ガソリンからの税金で道路をつくるということを全国的にやるのは、地方の人たちほど負担が多くなるわけです。であれば、都会のお金持ちほど多く負担する、所得税とか法人税とか、そういう税金をその分高くして、ガソリン税は下げて、ほかの税率を上げて、そのお金で道路をつくることにすれば、道路は同じままで、負担は地方の負担が楽になり、都会の負担がきつくなるということもできる。だから、いろんなやり方があると思います。いろんな政治の場、国会の中も含めて、政治の場で行われている議論はいろんな前提をつけた上でどっちがいいか、どっちに賛成かとかやっているので、前提のつけ方によって答えが違ってくるのですね。
僕の立場というか、考え方は、岩手にとって道路はまだまだ足りないから、岩手に来る道路予算は減らされては困る、減らさないほうがいいというのが1で、2はどうやってお金を集めるかについては、地方に負担が余りない、地方より都会のほうの人が負担するようなやり方のほうが望ましいと思う。特に今みたいな格差の時代にはそうだと。もう一つ、3番目には、日本全体として景気がいま一つなので、景気をよくするためには税金は下げたほうがよく、それを埋めるためにほかの税金を今いきなり上げるよりは、一時的に国が借金をしてお金を借りてつなぐことをすると景気対策にいいので、世の中を回るお金の量がふえるから、今はそういうことをしたほうがいいのではないかなというふうに思っていますね。
以上。
司会
では、もう一人ぐらい聞いてみたいと思います。
達増知事
ゴムひも3本ぐらい引っ張ってしまったけれども。
司会
では、もう一人ぐらいだれかいませんか。はい、では。
生徒
高校時代の一番の思い出を教えてください。
達増知事
高校時代の一番の思い出は、いろんな思い出があるのですけれども、そうだな、文化祭の弁論大会で優勝したことかな。これは、学校がちょうど100周年だったので、昔やっていた弁論大会というのが何十年かずっとやられなくなって空白が続いたのを弁論大会を復活させ、その復活第1回で優勝したのです。学校の中での競争なので大したことはないのだけれども、100周年記念復活第1回で優勝したのがやっぱりうれしかったですね。
生徒
好きなアイドルとかいますか。
達増知事
好きなアイドルは、仲間由紀恵さんが、テレビでよく出るし、つけていると見れる機会も多いから好きですね。「トリック」が好きだったので。一番好きなのは「リング0」の仲間由紀恵さんなのだけれども。
生徒
あと、衆議院議員になろうと思ったきっかけは何ですか。
達増知事
選挙制度が変わって、それまでは岩手県を北と南の2つに分けて、それぞれ岩手1区、岩手2区、北半分、南半分から4人ずつ衆議院議員を選ぶという仕組みがずっとあったわけですよ。それが平成8年、1996年の選挙のときから岩手を4つに分けて、そこから1人ずつという選挙になり、僕が生まれ育った盛岡と、あと紫波町、矢巾町で1つの選挙区になり、そこから1つ選ぶという、原敬首相の時代にはそういう盛岡から1人選ぶという小選挙区を昔はやっていたのだけれども、戦後はずっとそうではなかったのが、制度が変わって地元から、盛岡、紫波郡から1人ということになり、それがやっぱりきっかけですよね。それで、それまで外交官の仕事をしていて、アメリカに行ったり、シンガポールに行ったり、世界をふらふらしていて、ちょっとふるさとに対して申しわけないような思いを抱いていたのが、ふるさとでそういう政治の分野で全く新しいことが起きる。ちょうど政治の改革ということがちょうど言われ始めていた時代でもあったので、思い切って岩手1区から立候補しました。
生徒
では、知事になった理由は何ですか。
達増知事
そうやって半分国、半分東京にいて、半分地元にいて、国会議員の仕事をしていたのですけれども、特に21世紀に入ってから、西暦2001年以降、格差社会と言われるような、中央と地方の格差の拡大とか、いろんなそういう岩手が順調に発展しない異常な経済社会情勢になってきたわけですよ。そこを国会議員の立場で国の制度を変えたり、法律を変えたりで、何とか岩手のピンチを救えないかと思っていろいろやっていたのだけれども、増田寛也前知事が3期12年の任期を終えて、もう次は別の人という、そういう局面の中で、であれば自分がここは岩手のために、岩手のそういうピンチを救うことに集中して仕事をしようと思って知事に立候補しました。
教育現場も危機的状況という話が全国的には言われていて、私がこういう直接授業をしたいなと思ったのは、岩手の教育の現場というのは教室の中なので、なかなか教室の中の授業中の生徒の様子なんていうのは見る機会がないのですけれども、それで自分でやってみればかなり直接手ごたえが感じられるなと思ってこういうこともしているのですが、きょうは非常にいい手ごたえを感じました。だから、決して岩手、少なくともこの教室内は危機的状況ではないという実感を得ましたが、しかし危機的状況でなければ万々歳という、そういう両極端のどっちかではございませんので、その中間にあるなと。この中間をどういい方向に持っていくかということで決め手になるのがlove winsということでありますので、きょうはそれだけ印象に残してもらえれば幸いです。
ちょうど時間となりました。ありがとうございました。
生徒
起立。きょうは、短い時間でしたが、授業していただいた上に質問にも答えていただき、本当にありがとうございました。
達増知事
ありがとうございました。
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