いわての人

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ページ番号1000654  更新日 平成31年4月11日

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岩手が輩出した先人たちを紹介します。

石川啄木(1886年~1912年)

石川啄木の写真

南岩手郡日戸村(現・盛岡市)出身。本名は一(はじめ)。盛岡中学(現・盛岡第一高等学校)時代から文学を志し、明治35年上京した。与謝野鉄幹の指導を受け、詩集「あこがれ」を刊行した。翌年、母校渋民小学校の代用教員となるが学校と対立し免職。以後、北海道や東京を巡り、創作に没頭、「一握の砂」を刊行し評価を得た。
しかし、貧困と病のため渋民の地に戻ることなく、26歳の薄幸の生涯を閉じた。

宮沢賢治(1896年~1933年)

宮沢賢治の写真

稗貫郡里川口村(現・花巻市)出身。盛岡中学から盛岡高等農林学校(現・岩手大学)に進み、卒業後、教師を経て花巻に羅須地人協会を設立、農民の教育、指導にあたった。文学、農業、教育、宗教、地質学と様々な分野に才能をあらわした。後年は病に冒され、37歳で永眠した。
代表作には、詩集「春と修羅」、童話「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」などがある。

原 敬(1856年~1921年)

盛岡市出身。政党政治の基礎を作った総理大臣。外務次官、朝鮮公使を経て、伊藤博文らとともに立憲政友会を創設、大正3年政友会総裁となる。大正7年、わが国初の爵位を持たない総理大臣となり「平民宰相」と呼ばれた。

新渡戸稲造(1862年~1933年)

盛岡市出身。思想家、農学・法学博士。国際連盟事務次長などを務め、諸外国の日本理解に尽力した国際人。昭和8年にカナダで開かれた太平洋会議には日本代表として出席した。「われ太平洋の橋とならん」は有名。

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