東日本大震災時、いわて花巻空港が果たした役割
東日本大震災 2011.3.11 いわて花巻空港 備忘録 ~東日本大震災から10年~
1 発災
いわて花巻空港のある花巻市は、震度6弱を観測。14時46分、いわて花巻空港では14時25分発の大阪伊丹便が離陸した後であり、空港内のエプロン(駐機場)には駐機なしの状況でした。
地震直後、花巻空港事務所は直ちに空港を閉鎖し、空港施設の点検及びターミナルビル内にいたお客様に花巻市が指定する避難所に移動するようお願いし、関係者以外のすべての方々をビルから避難させました。
空港施設点検の結果、幸いにも運用に支障が出る被害は発生していないことを確認し、発災から2時間後の16時37分にオープンしました。
地震発生により大規模な停電が発生しましたが、予備発電装置が作動し、空港内の電気設備に供給されました。
2 発災後の運用状況
(1)いわて花巻空港の運用時間
発災から3月31日までは24時間運用
→旅客機以外の公的機関の災害救援活動を目的とした航空機のみ受け入れ
4月1日から4月20日までは21時30分、4月21日から5月31日までは20時30分までの延長運用とし、通常運用(19時30分まで)は6月1日からでした。
(2)花巻空港事務所の体制
震災時は通常の勤務職員に空港事務所経験者の応援職員を加えた全34名体制で、3月31日までの24時間運用時は、昼、夜の12時間ごとを、2班に分ける勤務体制でした。しかし、勤務終了となっても引き継ぎ等のフォローで帰れる状況ではなく、3月は睡眠時間が約2時間程度の日々が続きました。
(3)航空機の受入
災害時の空港に来ることが予想されるのは、自衛隊、DMAT(災害医療派遣チーム)及び緊急支援物資などです。しかし、航空機の機種や数、着陸のピークによるスポット割を行う必要がありました。スポット(駐機場の中で大きさにより割り振られたエリア)は機体の大きさや重量で入れるスポットと入れないスポットがあり、さらに休む間もなく航空機が往来し、駐機数が多くなるにつれてスポットは足りなくなっていきました。
そこで、工事完成前の平行誘導路を暫定供用することとしました。
結果、エプロン及び平行誘導路は定期便エリアを除き自衛隊専用とし、Wエプロン(旧エプロン)は他県応援機専用として区分。救援隊を受け入れる体制が整いました。
(4)航空機燃料
当時、いわて花巻空港では2社の給油会社による給油が可能でした。しかし、給油会社から「航空機燃料がなくなる。」という話が飛び込んできました。航空機燃料がなければ空からの救援が機能しなくなります。これまで燃料補給は宮城ルートで行われていましたが、津波被害による影響で搬入が困難になっていました。このままだと危機的状況でしたが、政府の災害対策本部より「航空機燃料は政府が責任を持って補給する。よって空港機能が損なわれないように懸命に頑張ってほしい。」と回答がありました。そのため、日本海ルートにて補給できたことで、いわて花巻空港では燃料枯渇が発生しませんでした。
3 発災前の教訓
いわて花巻空港の東日本大震災での対応において忘れてはならないのが平成20年に起きた宮城・岩手内陸地震です。
当時、いわて花巻空港は旧エプロンでの供用中で現在の新エプロンや平行誘導路といった施設が完成していませんでした。そのため、通常運用時でも定期便や小型機で埋まるエプロン(駐機場)に、定期便と無数の救援ヘリコプターが混在する状態でした。この経験をもとに、自衛隊や国土交通省、県などで所属の異なるヘリコプターの運航を調整する仕組みができました。
また、当時の小型機への給油が一社対応であったことから、給油の順番でトラブルがあり、国内定期便へ給油しているもう一社と県が災害時の給油協定を締結し、二社による給油が可能となりました。
なお、平成22年8月29日には、いわて花巻空港に広域医療搬送拠点を設置した広域医療搬送訓練を実施していたことなど、非常時に備えた事前の取り組みや平成10年度から進めてきた平行誘導路が概ね完成していたことが、震災翌日からの多数の航空機の安全運航に役に立つこととなりました。
4 主な救援隊の活動
(1)広域医療搬送拠点(SCU(Staging Care Unit:広域搬送拠点臨時医療施設)
3月12日 花巻空港消防車庫にSCUが立ち上がり、広域医療搬送が開始され、18日まで活動しました。活動チームはDMAT(災害医療派遣チーム)と呼ばれ、全国の病院から74チームで隊員約360人の医療従事者が花巻空港へ参集しました。
結果として、搬送患者数計136人(羽田空港等へ16人、120人は県内の病院)が県外へ搬送されました。
花巻空港事務所では現場調整連絡役として、空港事務職員をSCUに配置するなどの後方支援を行いました。
(2)公的機関等の災害救助活動
仙台空港の被災により、いわて花巻空港では岩手県、宮城県の沿岸被災地への災害救援のための防災ヘリ・消防系救援ヘリ、海上保安庁救援機等の受け入れを5月19日まで行いました。この間の公的間の救援隊の着陸数は延べ1,117回を数えました。
(3)自衛隊の活動
3月11日14時46分に東日本大震災津波が発災した直後の14時52分、知事が自衛隊派遣を要請しました。自衛隊の活動は人員輸送、偵察、火災対応、被災者救助、捜索、緊急物資輸送など多岐にわたり、これらの活動のため、いわて花巻空港に駐屯を開始しました。
15日からは、東北地方の物資輸送拠点空港として小牧(愛知)、横田(東京)、入間(埼玉)、岐阜、千歳(北海道)基地等から空輸された支援物資を岩手県、宮城県の被災地へ陸送するための積み替え等の荷役活動が行われました。
5月18日まで物資輸送が実施され、救助活動は7月23日に終了しました。3月12日から7月23日までに着陸した自衛隊機は、延べ610回で救援隊469回、物資輸送機87回、人員輸送機54回でした。
また、花巻空港事務所では除雪車庫を物資輸送の倉庫、除雪隊待機室を自衛隊待機室として開放し、制限区域内を野営地にGSE通行帯の一部を車両駐車場として開放しました。
(4)米軍の活動
発災した日の夜、当時の外務大臣から駐日大使に在日米軍による支援を正式に要請したことにより、米軍による、いわゆる「トモダチ作戦」が始動しました。
いわて花巻空港には、3月12日から31日の間に米軍の輸送機やヘリが人員や物資を輸送しました。
この間に人員や物資輸送で就航した米軍機は、延べ12回を数えました。
5 旅客輸送状況
発災直後から仙台空港が被災し、東北新幹線も運休となったことから、被災を免れた東北に地方空港が公共交通としての役割を発揮しました。
いわて花巻空港では、3月16日午後にJALの羽田、大阪伊丹、札幌新千歳の臨時便を各々1往復運航しました。また、翌17日以降は臨時便のほか、大阪伊丹、札幌新千歳の定期便運航を再開しました。
(8月31日までの臨時便が686便、うち羽田便は5月8日まで運航され274便、35,695人の利用がありました。)
なお、震災救援便としてANA(全日空)が名古屋(中部国際)便を4日間(5月13,16,20,23日)運航しました。
~FDAが定期便運航へ~
FDA(フジドリームエアラインズ)の名古屋(小牧)便は、その年の8月に毎日運航となり、翌年の3月から1日2便化され、その後の本県の復興に大きく寄与することとなりました。
6 ~周辺の皆さん、支えた人たち~
東日本震災時、いわて花巻空港では昼夜問わず多くの方々の支えがありました。
空港関係者をはじめ、地域住民の皆様、除雪隊の皆様、各委託業者の皆様のご協力に改めて感謝申し上げます。
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