いわて花巻空港の沿革 その2

ページ番号1047138  更新日 令和3年10月22日

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昭和56年~昭和63年

3 開港17年~開港20年(昭和56年~昭和59年)

(開港17年)昭和56年4月27日

乗降客が100万人を突破しました。ちなみに100万人目となったのは、横浜市から花巻温泉に観光に来た主婦の方でした。記念品として、秀衡塗りの器、往復航空券、台焼酒器セット、旅行宿泊券など10万円相当の記念品が贈られたそうです。皆さんもぜひ節目の乗降客となって記念品をもらいましょう。

昭和39年の就航以来、乗降客は年々増加し、東京便はほぼ満席状態が続いていました。

 

昭和56年6月8日

昭和58年春のジェット化に備えて、岩手県空港ターミナルビル株式会社の設立総会が盛岡市内のホテルで開かれました。

 

(開港19年)昭和58年3月1日

花巻~東京線に東亜国内航空(TDA)DC-9-41型ジェット機(128人乗り)が、就航しました。

ジェット化開港に向け、拡張整備計画が策定されて以来12年の歳月と210億円の資金が投入され、本県にも本格的な空の高速交通体系が整いました。

ちなみにジェット便は、当時花巻-東京間がわずか1時間となり、利用客の日帰り行動圏の拡大、貨物積載量についても従来の約3倍に増強されました。臨空産業への展望も広がりました。

ジェット機乗り入れに伴い滑走路も2,000mに延長されました。また、最新鋭の誘導装置も整備されました。

なお、同日に新ターミナルビル(現:花巻市交流会館)が完成しました。鉄筋コンクリート造り、地上2階、地下1階、延べ床面積は4,701平方メートルと旧ビルの10倍の大きさとなりました。

特徴は半地下1階方式の構造で、エスカレーターや階段を使わずに1階ロビーからそのまま旅客機に乗り込むことが可能でした。

2000m当時
滑走路2,000m

昭和58年4月1日

花巻~札幌線ジェット機就航(DC-9-41型機)

札幌便
札幌便ジェット機就航時の様子

同年4月7日

初の国際チャーター便就航(花巻⇔シンガポール)

 

同年7月23日

運用時間の変更(8時~19時30分)

 

昭和59年

三陸鉄道が開業

4 開港21年~開港24年(昭和60年~昭和63年)

(開港21年)昭和60年6月10日

花巻~名古屋線が開設されました。東亜国内航空で両空港を1時間15分で結び、運賃は大人片道で22,900円だったそうです。

一番機(DC-9-41型機、128人乗り)は定刻に満席の客を乗せて出発しました。

 

同年12月7日

岩手県警察航空隊設置(ベル206 B型ヘリ 1機 定置)

 

(注)昭和61年 第28回日本レコード大賞「DESIRE」

 

(開港23年)昭和62年6月

滑走路2,500m延伸の要望

当時延長2000m、幅員45mの滑走路に拡張整備され、昭和58年3月に供用開始したが、国際化の進行、1997年冬季オリンピックの盛岡招致には海外便が離発着できる空港整備が必要との声が上がりました。

 

(開港24年)昭和63年8月

ヘリコミューター(地域間航空輸送:ヘリコプターによる乗客の定期輸送)の実験運航が行われました。東邦航空の協力のもと、8月1日~17日まで盛岡-宮古(1日3往復、運賃:大人片道15,800円)、盛岡-花巻(1日1往復、運賃:大人片道6,300円)の2路線にて実施されました。

 

同年11月

プログラムチャーター便就航(花巻~ソウル、大韓航空)

地方空港の国際化推進のため、国の海外旅行者倍増計画の一環として企画された大韓航空のプログラムチャーター便が運航されました。

 

(注)豆知識

プログラムチャーター便

普通のチャーター便と違い、準定期便のようなチャーター便。通常チャーター便は、往復運航の片道が回送での運航になるが、プログラムチャーターは数便を連続して運航することにより回送運航を極力減らす運航のこと。一定期間のうちに連続して運航するため、プログラムチャーター便にて運航されました。

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