岩手フロンティア・フレッシュトーク(平成21年2月16日)
対象地域:沿岸広域振興圏
開催場所:釜石市
県政懇談会「岩手フロンティア・フレッシュトーク」懇談記録(沿岸広域振興圏)
- 日時 平成21年2月16日(月曜日)10時30分から12時00分
- 場所 釜石地区合同庁舎 4階 大会議室
開会
若林局長
おはようございます。ただいまから県政懇談会「岩手フロンティア・フレッシュトーク」を開催したいと思います。
本日ご出席いただきました沿岸広域振興圏管内の皆様には大変お忙しい中ご出席いただきました。誠にありがとうございます。心から感謝を申し上げます。
私は、本日司会役を務めます釜石地方振興局長の若林と申します。よろしくどうぞお願いいたします。
知事あいさつ
若林局長
それでは、開会に当たりまして達増知事よりごあいさつを申し上げます。
達増知事
皆さん、おはようございます。県政懇談会「岩手フロンティア・フレッシュトーク」、これは一種の作戦会議でありまして、岩手の現状をそれぞれ専門の分野、あるいは地域で活躍する皆さんの近況報告を伺いながら現状を把握し、そしてこれからどういう方向に持っていけばいいのかということを県として参考にさせていただきたいと同時に、皆さんにとってもそれぞれ自分の仕事や自分の地域、活動に戻ったときに役立てていただければということで開催をしております。
そして、県では、現行の長期計画が再来年で終わりますので、その後の10年ぐらいの長期計画を今年中につくっておかなければならないということで着手しているのですけれども、10年後の岩手というのをにらみながら、それぞれ県民が10年後どういう風になっていたいか、10年後に何をしていたいか、そういう県民の10年後というのを束ねて岩手の10年後というのをつくっていければいいと思っておりますので、その参考にもさせていただきたいと思っております。
そして、「フロンティア」というのは、沿岸広域振興圏、今ある市町村を超えた大きい枠組み、また県の領域とも違う、この広域というのは広域全体について首長もいなければ議会もない、いわば法律とか条例とかに縛られないで自由に地域をつくっていくことができる、そういう意味での「フロンティア」でありまして、特に民間の企業や団体、そして個人が対等な関係で伸び伸びやっていける、そういう地域ということで「フロンティア」というふうに呼んでおります。県として県全体の振興を図り、各市町村が市町村の振興を図るのは当然なのですけれども、それと別の広域圏というエリアに着目して、そこの振興というのをそこにいる主体が自由に連携しながらやっていくということで、この岩手全体の発展というのに弾みをつけていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。今日はありがとうございます。
若林局長
ありがとうございました。
それでは、本日ご出席の皆様のご紹介を申し上げたいと思います。お手元に名簿がありますけれども、名簿順にご紹介をさせていただきます。
綾里漁業協同組合総務課の佐々木伸一さんです。
株式会社デザインルーム代表取締役、山口麗さんです。
株式会社山元常務取締役、山元一輝さんです。
DESIGN和手ぬぐいの店ありすや、金野里美さんです。
特定非営利活動法人宮古圏域障がい者福祉推進ネット相談支援専門員兼自立支援員の畠山兼さんです。
三陸鉄道株式会社総務部の木村彩子さんです。
それから、県側の出席者を紹介いたします。宮古地方振興局長の田山清です。
大船渡地方振興局長の高橋克雅です。
先ほどごあいさついただきました達増知事です。
懇談
若林局長
それでは、早速懇談に入らせていただきたいという風に思います。
本日の懇談は、先ほど知事の方からお話がありましたが、新しい長期計画をつくることになりました。それで、10年後の姿を見据えて今どうしていこうということのいろいろ計画をつくっていこうということでありますが、それに対していろいろな意見を伺おうということで、今日は皆さんそれぞれの立場でいろいろ活躍、活動なさっていらっしゃいますので、そういう思いとか、そういうものをお聞きしたいなということでありますので、自由な形でご意見をいただきたいなという風に思います。
さて、進め方ですが、まず、1回目は皆さん自己紹介を兼ねていろいろ今やっていること、それからそれをやるきっかけだとか、それから普段、日頃感じていること、あと課題あたりまであれば、その辺のことをお話をしていただいて、その後2巡目ということで、それを深めていきたいなという風に思っております。私からもどんどん言いますので、どんどん、どんどん話をしていただければという風に思います。
それでは、第1巡ということで、まず自己紹介を兼ねながら日頃感じていること、それから普段こういうことを思っています、それから地域に対してこういうことを大切にしていますとかということをお話をいただければなというふうに思います。
もうすぐ春でございます。春は南からということで、南からいきたいと思います。綾里漁業協同組合、佐々木さんからよろしくお願いします。
佐々木伸一
私は、大船渡市三陸町の綾里漁協で漁協の仕事をしています佐々木伸一と申します。漁協の仕事を平たくご説明しますと、いろいろ貸し付け業務や貯金業務、共済業務などいろいろあるのですけれども、やはり漁協の業務というのは生産者、漁師さんたちの手助け、生産者が漁をしやすいような環境づくりをすることだと思っております。いろんな職種はありますけれども、その中で今まさに生産者のお手伝いをしているということが地域活性化、そして水揚げされるホタテのブランド化に取り組んでおります。地域活性化とかブランド化というのは、言葉にすると簡単なのですが、何をもって成功なのか、何をもって達成されたかということが本当に難しいのです。それで、私がやりながら感じているのは、水揚げが増えたからとか知名度が上がったからというよりも、浜のそこに暮らす人たちのやる気が目に見えて出てきたということが一つ地域活性化として成功しているのではないかなという風に思います。
その取り組みとしては、ホタテなのですけれども、二十数件の小さな集落でホタテの養殖をやっているのです。その二十数件のうちほとんどがホタテ、ホヤを養殖しているのですが、ホタテを、小石浜地区というところを「恋し浜」というネーミングで商標登録しまして、ブランド化を図ろうという風な狙いで活動しております。具体的には、とりあえずはその商標登録を成功させて知名度を高めたと。そして、今現在これからやろうと思っているのが、三陸鉄道さんと大船渡市役所さんと協力して小石浜駅という駅の名前を、ホタテの名前の「恋し浜」に直していくというふうな取り組みをしております。それで、なかなか難しいところはあると思うのですけれども、三陸鉄道さんの社長さんとか大船渡市長さん、意気に感じていただいて現実的になりそうな感じで動いております。さらには、ホタテを「恋し浜」というネーミングで東北本線、東北新幹線各駅に駅弁として売り出そうかなという風なプロジェクトを取り組んでおります。
これからいろんな課題があるとは思うのですけれども、やはり生産者自体がやる気を、当然漁協としては無視できないですし、それを最大限協力していく、そういった活動が大船渡市役所、また大船渡地方振興局水産部、県庁の水産課、流通課をいい意味で巻き込んで、本当にスクラムを組んで、誰一人欠けても相手に対抗できないぞという風なスクラムを組んで今まさに取り組んでいまして、生産者はやっぱりそういったブランド化されることが一番の目的でしょうけれども、私は漁協としてやっぱりこういった活動をして、いろんな人のつながりができたということが本当に充実感があって、これがもしかして地域活性のキーポイントになるのではないかなという風にすら感じて仕事をしております。これからますますやりたいことというのはいっぱいあるのですけれども、それをできること、できないことにかかわらず、すべてにチャレンジするつもりでこれからも頑張っていきたいと思います。
今日は、いろんな方が見えられておりますので、乾いたスポンジが水を吸収するように勉強させていただきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
若林局長
ありがとうございました。何人ぐらいいるのですか、今の若手漁業者は。
佐々木伸一
発足当時は5人だったのですけれども、今は10人に増えています。それで、発足した当時の地元の小学生、中学生が「お兄さんたちが面白い活動をしているな」という感じで、1回は就職されるのですけれども、やっぱり地元に戻ってくるといって10人、それは強制したわけでもなく、ちゃんとやってみると。さらに、その10人の活動をまた小学生、中学生が見ていて、よく授業中の職業講習というのに行くのですけれども、いろんな車屋さんとか、漁師さん、農業、公務員さんとかという教室があるのですけれども、漁師の教室が一番多くて、もしかしたら何か活性化、目に見える活性化になってきたのではないかなという風に思いますし、さらに12人、13人と増やして、だんだんには大船渡全体に普及していきたいなという風に思っています。
若林局長
ありがとうございました。「恋し浜」のデザインなんていうのは、隣の山口さんだ。
佐々木伸一
今のお話しして、それ駅弁のパッケージとか、これからご協力いただければと。
若林局長
すぐ仕事につながっている。
佐々木伸一
はい。
若林局長
それでは、引き続いて山口さん、お願いします。
山口麗
私は、去年の6月にデザインルームという会社を1人で立ち上げまして、印刷物であったり、商品のパッケージであったり、ホームページであったりという様々なデザインをやろうということで、今いろんな仕事をさせていただいております。もともとは、建築のデザインの方を大阪で勉強して少しは仕事もしてきたという経歴がありまして、地元に帰ってきて同じような仕事というのが大船渡にはありませんで、何年かずっといろんな仕事を通して考えて、いろいろ思い悩んだのですが、様々な活動をさせていただいているうちにまちづくりの方ですとか、青年会議所の方ですとか、そういった仕事をさせていただくうちにいろんな方とお知り合いになる機会もあり、ご指導いただく機会もあったりなんかして、身近に起業した大先輩の父もおりましたので、まだまだ自分のやりたいことをやれる機会かなとよくとらえまして、この際ですからもう一回デザインの仕事を始めてみようと思い、始めました。
ただ単純にデザインの仕事を始めようと思ったわけではなくて、地元に帰って生活するうちに、高校生まで地元にいて、その後大阪の方にいきまして、地元と都会のギャップというものを感じる場面が多々ありました。環境であったり、デザインのことであったり、仕事の仕方であったり。今改めて地元に帰ってきて大船渡の良さ、気仙の良さというものを感じる機会も多くあったり、地元のことを知らなかったのだという自分に気付かされることも多々ありまして、以前は正直余り好きではなかったのですが、大人になって帰ってきて生活しているうちに気仙って本当に良いところなのだと思う機会が多くて、人はそうだし、気候もそうなのですが、食べるものであったり、探してみるとホタテですとかワカメですとか黄金ですとか、いろんなところが全国であったり世界にアピールできるものが実はある地域なのだということを勉強させていただきまして、そういったところをもっと自分と同じ世代であったり、若い子たちが気づく機会というのが増えることで、より地元を好きな若者、地元をよりよくしたいと思う若者というのは増えていくのではないかと。そういった若い子たちの力を伸ばせることによって、より気仙が元気になっていくのではないかという風に何となく気づいたところがありまして、そういったところと、あと今の若い子、パソコンを使ってデザインするということが得意な子も結構多くなった気もありまして、そういった子たちとも仲よく連携をとったりしながら、気仙をデザインでPRできるものが何かつくれればなと思ったところも起業した背景にはあります。
それから、あと青年会議所ともう一つ、まちづくりの団体というもの、ケセンきらめき大学というものに私所属しておりまして、そちらの方で主に観光について勉強しております。観光といいましても、気仙地域に現在おります、農業に関するいろんな知識を持った方ですとか、漁業に関する知識を持った方ですとか、そういった体験をさせていただくところですとか、そういった人の紹介であったりとか、人と人をつなぐようなツールであったりとか、あとそういった気仙の観光の中で見どころはたくさんあるのですけれども、人や自然や食べ物や見どころたくさんあるのですけれども、なかなかそこのPR力というものがまだまだ足りていないのではないかとお聞きする場面もたくさんありましたし、自分でもそう思うところがたくさんありまして、そういったところにやっぱり一目見てわかるデザインというのがとても大事なのではないかと思っております。観光とデザインというのを若い人たちの感性なり、女性の観点なりというところでうまく結びつけたいなと思い、日々いろいろと活動したり勉強したりしているところです。
若林局長
ありがとうございました。大阪から帰ってくるきっかけは何だったのですか。
山口麗
向こうで正直な話働き過ぎまして、現場デザインの仕事はやっぱり忙しい仕事で、朝は早く、夜は終電はざらでしたし、土日もほとんど仕事で、デザインもしつつ、現場もやりつつというところで、非常にやりがいがあって楽しんで仕事をしていて、いずれ自分の事務所も持ちたいななんて思ってはいたのですけれども、なかなかやっぱり体力的につらいものがありまして、地元に帰ってこざるを得なくなったというのが一つありました。
若林局長
同級生はだれかいるのですか。地元に残っている同級生とのネットワークはあるのですか。
山口麗
はい、地元に残っている方もいますし、やはり都会から戻ってきている方もいまして、地元に残っている方は従来どおりの生活を送っていますけれども、都会から戻ってくる方というのはある程度やっぱり都会で自分のやりがいのある仕事というものを経験して帰ってきていらっしゃるので、やはりそこのギャップ、仕事に対するやりがい。やっぱり気仙地方って余り職種が多い地方でもないので、なかなかそこのギャップを埋めるのに皆さんちょっと悩んでいらっしゃるようで、私もその部分はすごく悩んでいたので、よくそういう話はします。
若林局長
ありがとうございました。
それでは、続きまして山元さん、お願いできますか。
山元一輝
株式会社山元に勤めております山元といいます。本日はよろしくお願いします。
まず、当社の事業内容というものを簡単に宣伝させていただきたいと思います。当社は、建設業を主体に事業活動を行っておりますが、ほかに海運業、あとは不動産事業、あとここ二、三年の話なのですが、水産業の方を始めております。まず、最近は全国的に公共事業費の削減ということで、メインの建設業の売り上げがどんどん先細りしていくという中で、当社としても何とか生き残りをということで、水産業のマツカワの養殖の方を最近は力を入れております。マツカワというのはカレイの一種でございまして、ほかの養殖の方法と違うところというのが、ボックスバージという、それは海洋土木工事でよく使う、土砂の運搬で使う土運船というものを生けすにしまして、そちらでマツカワの養殖を行っているということで、やっぱり珍しいということで、建設業者が水産業に進出ということでたびたびテレビとか新聞の方でも取り上げていただきました。おかげさまで今年は岩手県の方から、建設業新分野進出ということで優秀賞をいただくことになりました。ありがとうございます。
メインの建設業ということで、最近私が常々不安に感じていることというのは、将来技術者になる若者の建設業離れがどんどん増えているのかなというのもすごく感じております。実際、うちの従業員も6割以上は40歳を超えており、20代というのが事務職の人も含めて数人しかいないという状況です。やっぱり子供の数が減ってきているというのも一つの原因なのかなとは思うのですけれども、最近の建設業を取り巻くニュースというのは余りいいものではないのがほとんどですので、そういったニュースとかも影響してイメージが悪くなってきているのかなというのはすごく感じています。実際、公共事業が減ってきて、仕事は減ってきているのですけれども、実際現場の方では技術者が足りないというちょっと変な矛盾が、うちも含めて多分これは全国的にも同業者には言えることなのかなという風に思います。今、世の中で派遣切りが騒がれているので、逆にこれは新しい人材を確保する上でチャンスなのかなとは感じているのですけれども、実際私の友人も関東の工場の方で派遣をやっていまして、今月の20日で契約が切れると。地元に帰ってきたいのだけれども、まず仕事がやっぱりないということで、ちょっと今悩んでいるという友達もいまして、やっぱりそういう時に、私も地元に帰ってきて七、八年ぐらいになるのですが、やっぱりそういう友達のためにも何とか頑張って、仕事の紹介ではないですけれども、何か協力できることはしてあげたいなとは思っているのですが、どうしてもこういう世の中の景気で、なかなかそれも無責任なことは言えないなというのを感じています。やっぱり建設業というのは基幹産業でありますし、雇用の確保ということを考えると大きなウエートを占めているのかなと思っています。我々としては、これからの課題としてどうやって建設業のイメージを上げて、その地区、地区の人たちにPRしていくかというのがこれからの課題だと思っています。
若林局長
分かりました。技術者が不足していると、どうも右下がりの状況になっているし、なかなかしんどいなということはありますけれども、マツカワの方はうまくいっているのですか。
山元一輝
マツカワの方は、おかげさまで去年の10月、11月、12月と売り上げの方は伸びてきていました。もしかしたら、12月は正月ということで結構出たのも理由だかもしれないのですけれども、まず少しずつ売り上げの方は伸びてきております。
若林局長
それから、建設業やりながら、横浜の子供たちを連れてきて、いろいろワカメとかやっているのではないですか。その話をお願いします。暗い話ばかりではなく。
山元一輝
先ほどイメージアップをしていかなければならないということで、これが実際イメージアップにつながるかどうかといったらちょっとまだ分からないのですけれども、平成14年から毎年8月に横浜の子供たちを釜石に招いて、釜石に泉作業基地という湾口防波堤のケーソン製作ヤードがあるのですけれども、そちらの方でシュノーケリングだったり、あとワカメの研究というか、横浜で育てたワカメを夏場、あちらは暑いので、避暑地ということで釜石の方に移植して育てるという企画がスタートしたのは平成10年からなのですけれども、それを毎年8月に行っておりまして、釜石の小学校、もしくは中学生もたまに来ていたようなのですけれども、横浜の子供たちと交流させて、当社で所有している船も出して船上でバーベキューをしたりとか、いろいろ釜石にいい思い出をつくってもらおうというのを毎年やっております。今はもう湾口防波堤事業はほぼ完成ということで泉基地には何もないのですけれども、まだ頻繁に工事が行われているときは、来てもらった時についでに今やっている湾口防波堤事業の紹介等をして、建設業のイメージアップにつながるように子供たちにも紹介して一応説明はしておりました。
若林局長
続けてやるのでしょう、ずっと。
山元一輝
ええ、今年もやる予定です。
若林局長
はい、わかりました。横浜の子供たちの評判はいいのですか。
山元一輝
ええ、アンケートを書いてもらっているのですけれども、やっぱり釜石の食べ物はおいしいということで、みんないい評価はしてもらっているかなと思っております。
若林局長
ありがとうございました。
それでは、引き続きまして金野さん、お願いします。
金野里美
釜石から参りましたDESIGN和手ぬぐいの店ありすやの金野里美と申します。日本手ぬぐいの専門店をやっています。よろしくお願いします。
それでは、事業のご説明をさせていただきたいのですけれども、一番初め、手ぬぐい屋さんを始めたきっかけというのが、昔からデザインですとか、物をつくったりとかというのが大変大好きで、そういった仕事につきたいなと思っていたのですけれども、2004年に個人の趣味で手ぬぐいのインターネット販売を始めたのですけれども、販売していくうちにとても評判がよくて、もしかしたらこれは事業として成り立つのではないかと思いまして、2007年にオリジナル商品の手ぬぐいのみの販売に切りかえまして、現在の「arisuya classic」シリーズという、こちらの手ぬぐいの販売をしております。
インターネットの方をメインでやっていたのですけれども、去年の7月に地元岩手の釜石の方にも手ぬぐいの良さを知っていただきたいという気持ちで実店舗販売も始めております。
当店の手ぬぐいの特徴といいますと、よく手ぬぐいというと汗を拭いたりとか、粗品としていただいたりとかする定番のものだったのですけれども、そういった手ぬぐいをギフトですとかインテリアとしてお使いいただくようなデザインにいたしまして、メッセージやお名前をお入れして贈り物に使っていただけるようにしたのが当店の商品になります。
こちらの手ぬぐいが当店の華・源氏香、紅椿という柄になるのですけれども、こちらは実際に結婚式の日に花嫁さんがご両親への感謝状としてメッセージをお入れしておつくりになったもので、大変喜んでいただきました。こういった個人の贈り物として手ぬぐいにメッセージなどを入れて、個人の要望を聞きながら提供していくというサービスに特化して事業としてやっていきたいと思っています。
昨年の11月20日にいわてビジネスグランプリに出場させていただきまして優秀賞をいただいたのですけれども、本当に岩手の皆さんのおかげで産業振興センターさんとか釜石の商工会議所さんとかとても親切丁寧にご指導いただきまして、本当に個人の趣味で始めたものですから経営とかというのが分からないで始めたのですけれども、一つ一つ教えていただきながら今続けていられています。現在来ている注文の9割が県外からの注文ですので、これからも岩手から全国の方々にどんどん発信していけたらなと考えています。
あと実店舗の方は、釜石の方にとても喜んでいただいていまして、季節が楽しめるねとか、気持ちがすごく明るくなっていいねとかと言っていただいて、最初は30代の方々が中心になるのではないかなと思ったのですけれども、60代から70代までおばあちゃんたちがすごく喜んでくださっているので、もっと喜んでいただけるように提案していけたらなと思っています。
若林局長
分かりました。大体今県外が9割となりましたけれども、季節ものも結構ありますものね。
金野里美
そうですね、はい。
若林局長
クリスマスに行ったらクリスマスの手ぬぐいがあって、あっ、これはいいなと思いましたけれども。
金野里美
ありがとうございます。
若林局長
だから、なかなか四季折々の話だとか、そういうのは結構いいのではないかな。手ぬぐいという我々の固定概念をちょっと打破していただいたかなという風に思っております。そうですか。少し県内から多くなればいいですね。でも、いいですよね、そういうもので御礼みたいな形で贈り物にするというのは非常にいいと思います。
金野里美
最近やっとどうやって欲しい人にお届けするのかが教えていただきながらわかってきて、事業としてちゃんとやっていけそうだなという実感が。
若林局長
それはいいですね。はい、分かりました。
それでは、引き続きまして畠山さん。
畠山兼
宮古から来ました畠山と申します。よろしくお願いします。
私は、NPO法人の宮古圏域障がい者福祉推進ネットで相談支援専門員兼自立支援員というのを兼務しております畠山と申します。よろしくお願いいたします。
まず、私が主にやっている仕事の前に、少し今年度からうちのNPO法人、法人化しましたので、少しそのアピールも含めまして、これまでの宮古圏域の動きを含めてご説明させていただきたいと思います。私たちのNPO法人は、平成12年から知的障がい者の支援、ネットワーク化ということをメインにしまして発足して任意団体としてやってまいりました。平成15年には、県の方の障がい施策を背景に3障がいの協同化ということで、3障がいの窓口を宮古市内のデパートの方に設置しながら障がい者の支援だったり、相談に当たってきたということであります。今年度法人化いたしまして、宮古圏域には1市2町2村あるのですけれども、宮古市、岩泉町、山田町、田野畑、川井村から相談支援事業と地域生活支援事業というのを委託されまして、障がい者の相談や支援ということをやっております。当法人には自立支援協議会の事務局も置いておりますので、自動的に圏域での障がい福祉の課題であるとか、これから出てくるであろう問題点とかというのが自動的に上がってくる仕組みになってます。実はこれは平成12年からやはり人が人を支えていく仕組みというのはネットワークが重要であるということに目を向けて、民間のサービス事業者の方、もちろん当事者含め、家族含め、そして何より行政のスタッフの方々と手に手を取り合って、やってきまして、本当に行政の方々との官民協働といいますか、そういったものが大きく働いてこの法人化に至ったと思っております。
そして、私が主にふだん業務としている、これは岩手県さんの方から委託されている地域移行支援特別対策事業というものがございます。これは、簡単に申しますと精神障がい者を、今まで病院にずっと入っていた方々というのは本当多いです。10年だったり20年、ひどい方であれば30年といった方、社会的にというのですか、そういう方々が多くいるわけなのですけれども、そういった方々を地域に、帰すといった仕事です。これは、正直居住の場、アパートを探したり、あとはもちろん働くところも探したり、いろいろちょっと大変な部分もあるのですけれども、実はこの圏域はネットワークが本当に強化されていまして、1人の障がい者に対してみんなで考えようというスタイルができ上がっております。福祉関係者だけでもだめなのです。行政のスタッフ、職員さんも来ていただきながら、あと保健所の保健師さんたちにも来ていただきながら支援会議というものをしながら地域に戻していくといったのをやっております。地域に戻ればその地域の周りの方々と関わりをちゃんと持ちながら、その人の生活を支えていくというか、今は本当少なくなりましたけれども、隣の家に誰が住んでいるかというのも興味がないというのですか、声もかけもしない、そういった時代になってしまいましたけれども、そうではなくて、やはり地域の皆さんで1人の障がい者を支えるという仕組みをつくりながら地域に帰すといったのをやっております。
私が日々非常にこの宮古の圏域は仕事がやりやすいなと思って感じておりますが、やはり障がい者が困ったときにいろんな方がお話を聞いてくれる。それは、行政の方であったり、もちろん民間の私たちであったり、あとは近所の人だったりという、人と人とのつながり、ネットワークが非常に強くでき上がっているのだろうなという風に感じています。これは、実は市町村さんだけではもちろん無理な話ですし、民間の福祉だけの現場スタッフでは到底無理な話なのです。なので、実は平成12年ころは民間の福祉スタッフだけで顔の見える関係をつくってきたのですけれども、ちょうど平成18年くらいから行政の方々といい意味で近い関係をとりまして、障がい者を支える仕組みだったり、その人がどういったものが必要なのだとかということで、本当に何回も議論を重ねて今の支援体制ができ上がっているものと感じています。
私が今持っているもので、今年度は実は8人、精神に障がいを持った方ですけれども、8人の障がい者を地域に帰すことができそうです。それが大きな目で見れば、その地域の方に帰すということで、活性につながってくるのではないか。そこにはまたつながりができるということで、私は日々福祉という仕事を通しながら、福祉というフィルターを通しながら地域を活性化していける一翼を担えればいいかなという風に思って仕事をしております。やはりこれから広域化が進んでいくと思いますので、ネットワークを強化してもどうしても穴がありますので、そういったときにはやはり県の方で橋渡し的なものをしていただければという風に強く感じております。
福祉をしていて私が非常にうれしいのは、障がい者が地域に帰って、しばらくして訪問して「どうですか」と言うと、すごいいい笑顔で「よかったです」と言うのです。やっぱり自宅が良かったですと言って、ついこの間もあるまちの方を訪問したのですが、一言「ありがとう」と言われたのです。なので、そういう風に人と関わりながら何かしら地域を活性していくといったのを心に置きながら、日々仕事をしていこうという風に思っております。
私の方からは以上です。
若林局長
ありがとうございました。強固な人と人とのネットワークというか、そういうものを築くまでがなかなか大変で、今度はまたこれを続けていくというのも同じ人たちだけでやっているわけではないわけですよね。例えば県なんかは、人が代わったりする。そういう時に、なかなかまたそこに巻き込むというようなところが非常に力が要るのだろうなという風に思うのですけれども、その辺はどうですか。
畠山兼
そうですね、やはりどうしても人事等で動きが、市町村も含め県の方もありますので、なので実は私が今所属していますNPO法人は、そういった場合でも、今しているNPO法人が中心となって行政の方々も一緒に巻き込んでいくという意味合いで立ち上がっていますので、行政の方々におんぶにだっこではなくて一緒に、一緒に宮古圏域の福祉はこうなのだと、ここは課題でこういうことがあると、なので一緒に考えてくれというスタイルで話を持っていけば、やはりまた巻き込みながらやっていくことはできるのではないかなと思っておりますし、圏域で物を考えていくときには、行政の方だけではなくて、本当に協働していくというか、そういうのはもう仕組みとして圏域ではでき上がっていますので、誰が来ても、代わっても、圏域ではそういうスタイルを貫き通せばいいなという風に思っております。
若林局長
ぜひそれお願いをしたいなと思います。
続きまして、木村さん、お願いします。
木村彩子
三陸鉄道の総務部で広報を担当しております木村と申します。よろしくお願いします。
私は、大学を卒業して宮古に戻ってきて、都会から田舎に帰ってきたころは、何もなくてつまんないな、この土地はとずっと思い続けていたのです。けれども、私、個人的にフリーエッセーを地域のコミュニティー誌に連載をしておりまして、その関係でいろんなイベントなどに顔を出す機会が多くなってきたのです。そういうことをしていたら、ミニFMを立ち上げてみようよということで仲間たちの中で話になりまして、今本当に小さいエリアで、1~2kmも聞こえるのかしらという、すごい小さいミニFMなのですけれども、イベントごとに放送したり、今度はカニまつりが宮古であるのですけれども、そのときにも小さい場所でちょっと、ほとんどボイスレコーダーでとったものを流すという感じなのですけれども、そういうような活動をしてきました。
いろんな人と出会うことも多かったり、あとはイベントに顔を出すことも多かったりしているうちに、地域というものには私が気付かない面白いものがいっぱい落ちているのだなと、そういう思いになってきまして、これをみんなが発見して、あっ、これおもしろいわ、あれにも行こうかしらということで、ちょっと元気になっていくのではないかなという、そういう思いで毎日暮らしていました。私もコミュニティー誌の連載だったり、ミニFMの放送だったり、自分がただ楽しんでいるだけだったのですけれども、発信して皆さんに発見してもらって、それが元気につながるのだなというのを最近実感しておりまして、そんな風に思っていたところ、縁あって三陸鉄道に就職することができまして、それも広報担当ということで、もともと三陸鉄道には広報は担当という形ではなかったのですけれども、私がなりましたということで、ちょっと荷が重いなと最初は思っていたのですけれども、FMの活動にしても、いろんなイベントに顔を出すことにしても、自分の面白いなということとか、あと三陸鉄道でこんなに面白いものがあるのですよ、あとはローカル線というものが地域にあるという、そういうことに、宝なのだよということに気付かせたいなと。また、発見してほしい思いが強まって、今は地域の方々に三陸鉄道って面白いのだよ、こんなに楽しいことがあるのだよと明るいニュースを提供していきたいなと思って頑張っております。
その中でも、地域の人たちの足という部分で三陸鉄道は頑張っていたところなのですが、人口減少などでそれもままならない感じになっておりまして、岩手県さんの方や、あと市町村さんの支援で動いているところがあります。赤字せんべいを発売したりとか、ちょっとお涙ちょうだい的なスタンスがちょっとだけあったもので、それは地域の方々に聞くと、そうやって助けてもらおうとばかりするのではないよ、そういうお叱りなども受けたりもしておりまして、私もそこは不本意ですので、ぜひ皆さんに地域の足という、そういうものは当たり前なのですけれども、イベント列車も季節ごとに走っていますし、あとは自分の住む地域の隣のまちに行くときにもローカル線を使うというだけでちょっとした旅気分になりますよね。そういうような自分たちの娯楽的使い方というのもこれから鉄道、せっかく通っているので、やってみませんかということをPRしていきたいとも思いますし、そして三陸鉄道、沿岸を縦に貫く鉄道、途中山田線は入っていますけれども、先ほど佐々木さんがおっしゃったように今度小石浜駅を「恋し浜」ということで駅名変えましょうかという話にもなっているのですけれども、こうやって皆さんすばらしい力、いろんな力が個々に今点在していますので、三陸鉄道でそれをつなげていけるような活動ができればと思っておりました。
いつも外の方から言われるのですが、テレビ局の方だったりもするのですけれども、取り上げていただくときにローカル線というのはオリジナリティーというものがやっぱり魅力なのだよねとおっしゃって、私もそれは鉄道に関してではなく、地域にもそういうものってやはり必要なのではないかなと思うのです。皆さんのようにオリジナルの力というのがいろんなところに今ある段階ですよね。それを私たち三陸鉄道を通して、またはいろんな活動を通してそれをつなげていって、厚みを増していって、この地域力をもっとつけていきたい、そういう思いで毎日暮らしておりました。
以上です。
若林局長
さすが三鉄広報担当。地域力まで出てきて、いろいろつなげて、やっぱり汽車はつながらなければ走らないですからね。あと、三鉄を支えているのは、決して岩手県とか市町村ではないです。県民、市町村民の税金でございますので。
木村彩子
はい、そうです、その面もひしひしと感じております。
若林局長
つなげて、いろいろな点々をつなげて大きな何か魅力につながれば、それがまた独自性を持っていければ非常にいいですよね。
皆さんから1巡目はいろいろ今やっていること、それからこういうことをやっている、それぞれがそれぞれの分野で、オリジナリティー、やっぱりいろいろなところであるなというふうに思っておりました。
まず、知事にその感想を伺いたいなと思います。お願いします。
達増知事
県では、私の任期4年間の4カ年計画を「いわて希望創造プラン」という計画でやっているのですけれども、その中で2大戦略というのを掲げていて、1つは新地域主義戦略、これは今ある県とか市町村などの枠にとどまらずに広域をフロンティアにしたりとか、あとは小さい方でいうと市町村の中のコミュニティーですね、町内会とか自治会とかそういう小さい単位にも目を向けてやっていくという、そういう今ある県、市町村以外の地域にも目を向けてやっていこうという新地域主義戦略というものと、もう一つ、岩手ソフトパワー戦略というのを打ち出していまして、このソフトパワーというのは文化的魅力や、あるいは信頼によっていろいろ産業を振興したり、社会を豊かにしていこうという、そういう戦略です。新地域主義戦略は、今日の会議もそういう一環でやっているのですけれども、ソフトパワーについて言いますと、やっぱり今皆さんが発表してくれたブランド化でありますとか、デザインでありますとか、それから地域のいいものをどんどん発掘してそれを交流につなげたりとか、商売につなげたりとか、そういうことが本当ソフトパワーなのだなという風に思いました。
障がい者を地域の中で自立させていくというのも新地域主義戦略であると同時に、そういう信頼の力で、それを地域力にしていくというソフトパワーなのだと思います。これからの岩手のことを考えても、やはりそういう岩手のソフトパワーを高めていくような方向でやっていかなければならないなというふうに思いました。
ソフトパワーというのは新しい言葉なのですけれども、角度を変えて言うと結局はコミュニケーションにつながり、そのコミュニケーションが豊かになるということです。「恋し浜」ブランドというのも、こういう意味も込められているのではないかという、そういう発見をメッセージにして発信することで受け手との間にコミュニケーションが成立していくと、そしてデザインもやっぱりそういうメッセージがコミュニケーションにつながっていくということで、披露宴の贈り物、メッセージ、手ぬぐいがメッセージになるというのが、そしてそれがコミュニケーションにつながっていくというのが非常にいいと思います。
農林水産業でも、またものづくりとか建設業でもそうなのだと思うのですけれども、まして観光とか第3次産業はそういうメッセージ性とかコミュニケーションにつながるとか、そういうところをきちんとやっていくことが大事なのだなと思いましたし、福祉のような分野はまさにそういうコミュニケーション、そうですね、お世話するというところから一歩進んでコミュニケーション、そしてその輪が広がっていくという、そういう社会活動になって来ているのかなと思いますので、そういう方向で岩手全体も未来に向けて進めていければいいのだなということを思いました。
若林局長
ありがとうございました。
それでは2巡目にいきたいなという風に思います。
これから新しい長期計画をつくっていく際に、皆さんが今まで、今活動をしている。そうすると、皆さん、あと10年後というと、社会を背負っていかなければならない時代になるので、その時にこうありたいな、今までこうやってこういう課題があるけれども、こういうことを克服していきながらこうしたいなというような皆さんのお考えがあれば、この地域はこう……皆さんのさっきのお話を聞くと、経済的に富むということは難しいかもしれないけれども、どうもみんながいいところに暮らしていると、いい人生を送れそうだと、満足度みたいな部分なのかもしれませんけれども、そういうところも含めてお話をいただければなという風に思います。
では佐々木さんからお願いをいたします。
佐々木伸一
10年後となるとなかなかイメージしにくいのですけれども、今やっている、やろうとしていることが10年ぐらいかかるかなということが一つありまして、漁師さんというのは基本的に秘密主義、隠ぺい主義といいますか、自分の漁場を他に教えない、自分の得意な分野は他に教えないのです。漁協というのもそういう気質が古くからあるのです。ただ、やっぱり岩手は、岩手地図見れば三陸鉄道で沿岸がつながっているように、これからやろうとしているのは常識破りというか、型破りなことをしようかなと思っていまして、県北の産業の物産を県南の私たちの漁協で販売してみようかなと思っていました。さらに、南のものを北で売ると。漁協ですので浜値、単価というのはみんな知っているのです。そこに生まれるのは利益ではなくて、やっぱり人と人のつながりというか、横のつながり、これからそういうのが大事なのではないかなというふうに思っていました。
私たちもこれから、県北の漁協とコラボして、私たちの知っている大手スーパーの情報を教えて、あちらで取り組んでいる同様の情報をいただくというふうなことをとりあえず第一歩でやってみようかなと思っています。岩手の漁協全部つながるとなると、10年、20年になるとは思うのですけれども、つながって情報を共有化することによってまだまだ活性化する要素はあると思うのです。これから大船渡から発信して、いろんなことを岩手の沿岸をつなぐような事業をしたいと思っています。
若林局長
分かりました。確かに漁業協同組合って閉鎖的なところがあって、漁業権からあって、確かにあるのです。それが障壁になって大きなくくりになかなかなれないという、あと情報をやりとりしながらお互い伸びていけばいいのだけれども、どうもそれができなくてお互い頭打ちになってしまうというようなところがあって、そこはちょっと確かにあるのです。販売体制は県漁連一本ですしね。それぞれがそれぞれでいろいろなところとつき合いながら、くっつきながらやっていくというのは非常にいいことかなという風に思います。来年から広域振興局体制になるので、そういう形でとにかく共同して何かしようということは仕掛けようかなとは思っていました。一つよろしくお願いを申し上げたいなと思います。そうですね、いいですね、それぞれとつき合いながら。あと県漁連、何も盛岡になくてもいいのでないかと、沿岸にあってもいいのではないかなとかというふうに思っていますけれども、ぜひ働きかけてみて下さい。
では、山口さん。
山口麗
私の方は、具体的に、自分がこうしていきたいというものは、商品とかそういったものではまだ明確にないのですが、地元気仙というブランドを使った何か、商品などをつくることを友達と進めているところでして、大船渡は椿の里ということでして、今年度椿納めというのもやらせていただいた機会もありまして、意外とツバキを商品にしたものというものは大船渡に少ないのです。なので、観光で地元をアピールしてお客さんに来ていただいても、ツバキというものを持って帰っていただくという機会がちょっと。またそういう機会があれば、もっと小さいところからでもPRというものができるのではないかというので、京都の方で、あぶらとり紙の、ネットや雑誌なんかでもすごく若い女性に人気のお店があるのですが、そういったところからヒントを得て、ツバキ油なんかも使いつつ、そういった商品をつくることができれば、というところで今ちょっと進めているところで、あと地元に関しては、自分がどれだけできるかというのはまだまだ10年後のことなのでわからないのですけれども、こういった地元になっていてほしいなと思うのは、少子化でどんどん、どんどん人口も減っていきますので、その分やっぱり地元の人が地元を愛しているようなところでないと、やはり若い世代の人たちにもそういった地元に対する気持ちというものがなかなか伝わっていかないと思いますし、あとは女性がやっぱり出産とか育児とかあるものですから、働いている方みんな、就職している方から私のように自分で仕事を始めた方まで、女性でもやっぱり地域的に保障されるようなそういったところがないと、やっぱり地元が10年後も元気であるという安心感というのはなかなか持てないのではないかなと思っていますので、そういった意味でも自分も頑張っていきたいなと思っております。
若林局長
ありがとうございます。女性の起業というか、それから雇用先だとか、出てくると当然少子化もだんだんそういう率が高くなるというか、出生率高くなるということがあるでしょうから、そうすると医療もだよね、きっとね。
山口麗
そうですね。いろいろな問題に絡んでくると思うのです。教育もありますでしょうし、福祉もありますでしょうし。
若林局長
はい、わかりました。
では、山元さん。
山元一輝
建設業で10年後というと、まだまだ不透明な部分があるので何とも言えないのですけれども、個人的な10年後の地元のこうであればいいなというのは、やはり買えるもの、使えるものは地元でというのがやっぱり一番かなと。実際、去年の燃料が高騰した時期に、釜石の方は大体買い物に行く時は盛岡とか北上とかに行くのですが、それはもちろん釜石にないものがあって行っている人もいるのでしょうけれども、帰りの遠野市を通る際に必ずそこで食料品を買ったり、あと遠野市の方のスタンドが釜石よりはガソリン代が安いので、帰ってくる際に遠野市でガソリンを入れて帰ってくるということで、なかなか地元釜石の方にお金が落ちないというのが現状だと思います。多分今もそうなのかなと。極力自分は何とか釜石で買えるものは買うようにはしているのですけれども、やはりそういった意識を地域の人みんなが持てれば地域活性化にもつながるだろうし、人口の流出等も防げるだろうし、やっぱり地産地消というのが一番大事なのかなと、10年後そうであればいいなと思っています。
なかなか建設業につなげて説明するのも難しいのですけれども、やはり地場の建設業をやっていてこれだけは絶対に負けないというのが、災害があった際、この間の一関の災害とかも自衛隊とか来てやったりもしていたようなのですが、恐らく地場の建設業者が一番現場に近く、対応もできますし、そこだけは絶対負けない部分かなというのはありますので、それが地産地消につながるかどうかなのですけれども、やっぱり例えば家をつくるのであれば地場の会社、食料品を買うのであれば地元の、そういった意識を地域の方々みんなが持っていければ、やっぱり10年後、良いまちになっている、もっと良いまちになっているのかなという風に思います。
若林局長
建設業の方は、災害対応は本当そうですよね。すぐ動けるのが地場にいないと、初期段階の対応がなかなか難しいというのがあるので、そこは確かにそうだと思います。だから、技術者が不足していると、それでなかなか対応ができないとか。重機のオペレーターもなかなかいないという状況になってきているということなようですよね。
山元一輝
実際今ちょうどこの時期、寒い時期で除雪だったり、融雪剤の散布だったり、うちも受けているのですけれども、うちも三、四人ぐらいしかいないのですかね。四、五年前はもうちょっといたのですけれども、ああいう除雪車を運転すると腰が痛いとかということで、オペレーターの高年齢化でなかなかやっぱり人の確保が厳しい状況だなと。
若林局長
はい、ありがとうございました。
では、次、金野さん、お願いします。
金野里美
10年後といいますと、今まだ駆け出しなのではっきりは見えないのですけれども、手ぬぐいを販売するのではなくて、やっぱり手ぬぐいを通して気持ちを伝えるお手伝いみたいなところにとても焦点を絞ってやっていきたいと思っているので、そういったところを大事にしていきたいと思います。
あとは、今こういう事業をやっていて、地元の商店街さんたちにも、こういううちみたいな小さなお店でもインターネットというものを通して事業がやっていけるということも、いいところも悪いところもあるのですけれども、こういう経験をお伝えしていって地元の方に元気になっていただいて、きっかけがあるのだよということを知っていただいて、釜石に遠くからお客さんがどんどん入ってくるようになっていけたらなと思っています。何か日曜日になるとお店の前とか人が歩いていないので、ちょっと寂しいなというのは感じておりまして、ただ実店舗を始めてテレビとかで取り上げていただくようになったら、県の遠くの方が釜石に来てくださったりとかというのがありますので、ちょっとずつですけれども、柄の数を増やして大きくしていって、東北だけでなく全国から来ていただけるようにしていけたらなと思っております。
以上です。
若林局長
手ぬぐいから今度は何か思いやりを包むとかといってふろしきとかという発展系はありそうなのですか。
金野里美
そうですね、考えてみますけれども。よく手ぬぐいというと小紋柄で青海波とか柄がびっしり詰まっているのが有名で、江戸のお土産とかになっているのですけれども、それとは全く違ったメッセージが入れられるものに特化していって、こういう気持ちを伝える手ぬぐいはここにしかないという風にしていきたいと考えています。
若林局長
分かりました。気持ちを伝える手ぬぐいね。
金野里美
はい。
若林局長
いいフレーズですね。
では、畠山さん、お願いします。
畠山兼
10年後といってもぱっとは思いつきませんが、10年後はまず今より本当に障がい者が地域に、隣の家にいても違和感のない、そういう地域、それはどこでもそういう風にしてあげたいなというふうに思っていますし、やはりまだ支援の方も流動的な部分もありますので、10年たったときに圏域の問題を、課題を行政の方に上げていけるぐらいこの法人も大きくなって、一緒に考えていくといったぐらいに力が持てればいいのかなという風に思っていますし、障がい者が地域にいるというのが当たり前で、それが活性化されていくというのを目標に頑張っていきたいなとは思っていますけれども、やはりなかなか景気も良くないですのであれですが、就労の問題も課題はいっぱいあるのですけれども、何とかそういったたくさんの課題を10年後には1つでも2つでも解決していけていればいいのかなという風に思っております。
以上です。
若林局長
はい、ありがとうございます。例えば今障害者自立支援法なんかでいろいろやっていて、できれば就労機会まで持っていこうというふうな形になっているけれども、そういう取り組みというのは今進めているのですか。
畠山兼
そうですね、就労の方なのですけれども、やはりこの景気の悪さもあってなかなか就労に結びつかないケース、いろんな助成があるにしても、会社側でやはりどうしても厳しいといった状況、派遣切りではないですけれども、障がい者にも若干ありますし、ただ雇用、障がい者が働く施設の方は県の方でやっている工賃倍増5か年計画の方で、宮古の方ではその数字は少しずつ伸びていますので、一般就労ではなくてもそちらである程度所得保障ができるのであれば、障がい者の地域の生活というのがある程度保障され、確立されていくのではないかなと思っています。
若林局長
ありがとうございました。
では、木村さん。
木村彩子
10年後ということで、皆さんと同じように具体的に何かというのはぱっと思いつかないのですけれども、皆さんの話の中で聞いていて思うことは、例えば山元さんもおっしゃっていましたけれども、地産地消みたいな、そういうものというのはやはりこの地域でなければできないことで、この地域でないとできないことというのはやっぱり大切にしていかなくてはいけないし、自己完結できる地域にいるということはすごい恵まれていることですので、それがもっと強くなっていけばなという思いはあります。三陸鉄道に勤めているので、小さな気分転換、行楽的なものというのもこの鉄道にはありますし、あと佐々木さんのところのホタテを見たら、そのホタテを山口さんのデザインした袋に入れて、そして山元さんのところにマツカワを見に行って、産直列車というのがありますので、金野さんの手ぬぐいをその中で売ってお土産にして、そういう楽しみを障がい者の方にも味わってもらう、そういう風なつなげていくようなことというのってやっぱり鉄道ならではないかなと思うので、こういう小さな力が10年後に面となってこの地域を支えていけるような、そんな土地になっていったらいいなとぼんやりと、夢のようなのですけれども、そう思っております。自分たちの力というのは合わさったら大きなもので、この地域変えられるのかもしれないなという何かちょっと希望的なものが湧いてきたので、今日は来てよかったです。ありがとうございます。
若林局長
いやいや、最後にはお褒めの言葉をいただきましてありがとうございます。今つながりましたね。だから、きっとそれぞれが一生懸命やっていって、だんだん、だんだん大きくなっていけば非常に大きなものにつながっていくかもしれないですね。大変いいお話を伺いました。
知事所感
達増知事
木村さんに最後にまとめてもらったところなのですけれども、三鉄というのは沿岸のすべてを乗せることができる、そういうステージのような存在だと思うので、やっぱり私は大事にしたいと思っていて、平泉というのは岩手全体のシンボルみたいな感じでいろいろキャンペーンもやっているのですけれども、三鉄というのはやっぱり沿岸全体のシンボルですので、知事室にもポスターを張って、来た人に見せるようにしているのですけれども、頑張って欲しいと思います。
この三陸、あるいは岩手沿岸、この北上高地の山も含めて、本当に奇跡のような土地なのだと思います。もともと海の底にあったのが岩の塊となって、隆起してきて、それで南半分の方はちょっとまた沈降して今みたいな地形になっていて、ずっと海底に沈んでいたときに生き物がたくさんいた時代だったようで、それで生き物の死骸が堆積物でたくさん沈んで、すごい石灰質が岩の塊になっているから、生き物をはぐくむ山の塊になっているわけです。それで、北上川サイドの斜面はリンゴやブドウなど非常にいいものがとれるし、海側は山でもいろんなものがとれ、マツタケも非常にいいものがとれるし、そしてそういうところから栄養がおりていった海は非常に養殖には向いているという、そういう奇跡のような生命を育む、そういうワンダーランドに人が昔から住んで、特徴ある文化、伝統を育んでいたという、そういうひょっこりひょうたん島の大きいもののようなイメージで沿岸広域というのをとらえると非常に将来夢があるのではないかなという風に思っております。
個別的な話になりますが、建設については、公共事業は平成19、20、21年度予算とほぼ横ばいになるようにしていまして、やっぱりどんどん減らしていくというのは希望の反対で絶望的な状況になるわけで、無理に増やすというのもだめなのですが、無理に減らすのはもっと良くないと思っているので、無理に減らさないように。県の経済規模の一定割合は公共事業になるとか、あるいは財政の一定割合は公共事業になるというように、過剰に減らしていいものではないと思っていて、岩手の場合は少なくともまだまだつくらなければならないものがあるし、そしてこれから直していかなければならないというニーズもあるので、そういう中でちゃんと希望を持って業界全体として先に進んでほしいなというふうに思っています。
以上です。
若林局長
ありがとうございました。
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